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桃畑の畑道

疎開の記憶
昭和20年(1945)になると頻繁に空襲警報が鳴るようになり、警報が鳴ると学童は急いで校庭に集り、地域ごとに集団でそれぞれ自分の家の防空壕に避難するべく走って帰るのだが、自分だけは少し肥えていて足が遅く皆に付いて行けないため同じ行動をとることは出来ず、別行動で警報が鳴ると校庭に集まることなく真っ直ぐに桃畑の中にある近道をよたよたと走って帰り百合地区に着くと集団で帰った者の方が早かった。