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疎開先の家の前の桃畑にて

疎開の記憶
最初にここ安楽川を訪れたのは疎開先への下見のためで私(当時7歳)と母(同27歳)それに5歳の弟を連れ"船戸駅"から歩いて来ました、その日は大阪を朝早く出発していても目的地の百合集落に着いたのは夜になってからで、尋ね尋ね歩いても疎開先の家が見付からず母もその時は途方に暮れ、やっと疎開先の家が見付かった時の事は今もはっきりと覚えています。帰りは"船戸駅"より近い歩いて1里(4 km)ほどの"打田駅"からで、その時の列車はSLで客車ではなく貨物車両でした。